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東京地方裁判所 昭和56年(ワ)14021号 判決

原告

佐々木誠

原告

佐々木恭仁子

右両名訴訟代理人弁護士

更田義彦

河野敬

西垣道夫

被告

右代表者法務大臣

遠藤要

被告

黒川叔彦

右両名訴訟代理人弁護士

和田衛

被告国指定代理人

伊東敬一

新野博司

鹿内清三

主文

一  被告らは、原告らそれぞれに対し、各自金二二〇〇万〇六〇〇円及びこれに対する昭和五六年一二月一一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。ただし、被告らが、原告らそれぞれに対し連帯して金一二〇〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告らそれぞれに対し、各自金三二五三万一四九五円及びこれに対する昭和五六年一二月一一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  第1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告佐々木誠及び同恭仁子(以下それぞれ「原告誠」、「原告恭仁子」という。)は、亡佐々木乃扶子(昭和五〇年二月一三日生、以下「乃扶子」という。)の両親である。

(二) 被告国は、国立東京第二病院(以下「東二病院」という。)の開設者であり、被告黒川叔彦(以下「被告黒川」という。)及び本間直美医師(現在は、「河合」と改姓。以下「本間医師」という。)は、昭和五三年四、五月当時、同病院に勤務していた医師である。

2  乃扶子の入院までの診療経過

(一) 乃扶子は、昭和五三年四月二七日から発熱して、四〇度前後の高熱が同月三〇日まで続き、紅斑も現れたので、同日、東二病院小児科で本間医師の診察を受けた。乃扶子の全身に粟粒大の発疹が見られ、咽頭も発赤していたことなどから、同医師は、溶連菌感染症ないしは猩紅熱と判断して、マクロライド系抗生剤アイロゾンシロップ(一般名エリスロマイシン)を処方した。

(二) 乃扶子は、同年五月一日にも四〇度前後の高熱が続き、東二病院で被告黒川の診察を受けた。乃扶子には粟粒大の発疹及び咽頭発赤が見られ、被告黒川も、溶連菌感染症ないし猩紅熱と診断して、アイロゾンシロップを処方した。なお、その際、乃扶子の姉のひと美(昭和四七年九月九日生、当時五歳。)には、溶連菌感染症の予防内服薬として、経口ペニシリン製剤バイシリンGを投与した。

(三) 乃扶子は、同月四日にも被告黒川の診察を受けたが、その際の体温は三九度で、手に粟粒大の出血斑が認められ、喉の痛みと関節痛を強く訴えて、口をきくのもいやがる状態であつた。被告黒川は、エリスロマイシンを水薬であるアイロゾンシロップから散薬であるエリスロシンドライシロップに変更して処方した。

(四) 乃扶子は、依然として高熱が続き、喉の痛み、手のはれ、関節痛、出血斑が現れていたので、同月六日、被告黒川の診察を受けた。被告黒川は、溶連菌感染症が細菌性心内膜炎を引き起こしているおそれを強く感じ、エリスロシンドライシロップに加えて、テトラサイクリン系抗生剤ミノマイシンを処方し、同月八日(月曜日)に東二病院へ入院するように指示した。

3  乃扶子の入院後死亡までの診療経過

(一) 乃扶子は、同月八日東二病院へ入院した。被告黒川は、乃扶子の病気の起炎菌を確定するために、入院後直ちに、抗生剤の投与を二日間中止するように指示した。

(二) 同月九日、乃扶子の容態は更に悪化し、早朝から出血斑が両上肢、右上眼瞼、前胸腹部等身体各部に増加しつつあり、午後三時には体温が39.8度に達し、夜にはジゴシンエリキシル(強心剤)が投与された。また、その日に血液検査及び血小板検査が行われたが、その結果は、CRP一二プラス、ASO八三三を示し、血小板は通常の約二〇分の一(一万一〇〇〇)まで減少していた。

(三) 九日夜から一〇日朝までの間に乃扶子の容態は急変し、同日朝には全身に出血斑が確認され、以後更に悪化して、同日午後七時三分に乃扶子は死亡した。

4  死亡原因

乃扶子は、A群β溶連菌によつて溶連菌感染症に罹患し、次いでその二次合併症である細菌性心内膜炎となつて、全身臓器に栓塞、出血を起こして死亡したものである。

5  被告黒川らの過失

(一) 溶連菌感染症に対する適切な抗生剤の選択を誤つた過失(昭和五三年四月三〇日から同年五月一日までの間)

(1) 乃扶子は、昭和五三年四月三〇日には既に溶連菌感染症に罹患しており、これによる猩紅熱の症状を呈していた。

(2) 本間医師及び被告黒川は、それぞれ昭和五三年四月三〇日及び翌五月一日の時点で、乃扶子が、溶連菌感染症に罹患しているか、少なくともその疑いがあると診断していた。

(3) したがつて、本間医師及び被告黒川には、次の事実に基づいて、ペニシリン系の抗生剤を投与すべき義務があつた。

① 溶連菌感染症に対する治療方針は、一般に、強力に抗生剤療法を行つて溶連菌を死滅させることであるとされている。

② ところで、A群β溶連菌については、昭和二九年(一九五四年)以来、テトラサイクリン系、マクロライド系抗生剤に対する耐性菌(これらの抗生剤がきかない菌)の増加が報告されており、昭和五三年当時には、検出された菌の実に六〇ないし八〇パーセントもが、これらの抗生剤に耐性を有するといわれていた。他方、ペニシリン系抗生剤にはこのような耐性菌が発見されておらず、溶連菌感染症には最も有効であつて、本症の治療に当たつては、小児の場合にも、まず第一に選択されるべきものであり、溶連菌が疑われる場合にはまずペニシリンを使うのが当時の医学常識であつた(なお、乃扶子について、ペニシリンアレルギーなどペニシリンの投与を特に避けなければならないような事情は存在しなかつた。)。

③ 特に本件においては、乃扶子は、先天性心疾患の手術後であり、細菌性心内膜炎の併発が強く懸念され、かつ、それが生命の危険をもたらすおそれが強かつたから、溶連菌感染症に対しては、強力な治療を行い、これを一刻も早く治癒させることが急務であつた。なお、被告黒川は、乃扶子の主治医として先天性心疾患の治療に当たつていた者であり、本間医師も、被告黒川から乃扶子のことは聞いて知つていたのであるから、いずれも、溶連菌感染症を放置すれば細菌性心内膜炎という重大な合併症に発展することを予見していたか、少なくとも予見しうべきであつた。

(4) しかるに、本間医師は、右耐性化の事実を知らずに、マクロライド系抗生剤であるエリスロマイシンもペニシリンと同様に一般的に溶連菌感染症の治療に用いることができるものと軽信して、エリスロマイシンを投与したのみで、ペニシリン系抗生剤の投与を怠つた。

(5) 被告黒川も、右耐性化の事実を知りながら、これに留意することなく、本間医師の処方を安易に継続して、エリスロマイシンを投与したのみで、ペニシリン系抗生剤の投与を怠つた。

(二) 細菌性心内膜炎に対する適切な抗生剤の投与及びその他の医療処置を怠つた過失(昭和五三年五月四日から同月六日までの間)

(1) 乃扶子は、昭和五三年五月四日ないし遅くとも同月六日には、細菌性心内膜炎を併発し、又はその併発が必至の症状となつていた。

(2) 次の事情があつたから、被告黒川は、五月四日には細菌性心内膜炎の発症又はその発症の切迫性を診断しうべきであり、また、同月六日には現にこれを診断していたのであつて、それが、溶連菌感染症に起因するものであることも認識しうべきであつた。そして、このことは、従来投与した抗生剤が十分な効果をあげていないことを示すものであるから、被告黒川には、従前の抗生剤選択を反省して、細菌性心内膜炎に対する治療としてペニシリンの静脈内投与を開始すべき義務があつた(特に細菌性心内膜炎には、急性の激しい経過をたどるものがあり、ことに小児の疾病の場合には、一般的に症状が急変することがままあることからしても、この時点で早急に適切な抗生剤投与を行つて症状の重篤化を防止することが急務であつた。)。

① 経験上溶連菌感染症による発熱は、合併症がない限り三、四日ないし一週間程度でおさまるのが通常であるのに、乃扶子は、四月二七日ころの発症から既に一週間以上発熱が続いていた。

② 一般に、乃扶子のような先天性心疾患のある小児が、溶連菌感染症に罹患した場合には、細菌性心内膜炎の併発を強く危惧すべきであるとされていた。

③ 五月四日(又は遅くとも同月六日)には、乃扶子の手に出血斑が認められた。

(3) しかるに、被告黒川は、五月四日の診察では、発熱が続くのは乃扶子が嘔吐して薬剤が十分吸収されていないためであると判断して、細菌性心内膜炎の併発を何ら顧慮することなく、剤型を変えただけでエリスロマイシンの投与を継続した。

(4) 被告黒川は、同月六日の診察においては、細菌性心内膜炎のおそれは認めたものの、これが急性の経過をたどる危険性があるものとは考えず、エリスロマイシンに加えてテトラサイクリン系抗生剤ミノマイシンを投与したのみであつた。

(三) 抗生剤の投与を中止した過失(昭和五三年五月八日)

(1) 被告黒川は、乃扶子が罹患した細菌性心内膜炎の起炎菌がA群β溶連菌であること、又は少なくとも起炎菌として最も疑わしいのがA群β溶連菌であることを認識しており、又は認識しうべきであつた。

(2) 先天性心疾患という乃扶子の既往歴に照らせば、細菌性心内膜炎の急激な進行及びこれによる生命の危険が予想されたから、細菌性心内膜炎の治療上一般的には起炎菌の確定が望ましいとしても、本件においては、最も疑わしい起炎菌を想定して、広領域のペニシリン系抗生剤を投与すべき義務があつた。

(3) しかるに、被告黒川は、乃扶子の救命よりも起炎菌の確定を優先させて、昭和五三年五月八日の乃扶子の入院後、従来投与してきたエリスロマイシン及びミノマイシンの投与を中止させた。

(四) 抗生剤の投与中止後の適切な観察及び措置を怠つた過失(昭和五三年五月八日から死亡まで)

(1) 起炎菌の確定のために抗生剤の投与を中止する際には、当該抗生剤が明瞭な有効性を示していない場合であつても、起炎菌の増殖を抑制していることがありうるから、被告黒川としては、急激な症状の悪化を予見して、中止後の患児の状態を克明に観察し、万一症状の悪化が見られるときには直ちに抗生剤の投与を再開すべき義務があつた。

(2) 五月八日の時点で、乃扶子には、脱力感が著明であり、倦怠感、四肢末端の冷感、渇きも見られ、午後六時の呼吸数も四八とかなり速いなど、重篤な状態であることが窺われ、入院当夜から症状の進行が急速であることが認められたから、八日の夜又は遅くとも九日の朝には、ペニシリン系抗生剤の投与を再開すべき具体的義務が被告黒川に生じていた。

(3) 仮に(2)の時点では右義務は生じていないとしても、被告黒川は、五月九日には乃扶子の出血斑を確認し、血小板が通常の約二〇分の一に激減したとの検査結果を得ていたのであるから、乃扶子の病状の悪化を知りえたはずであり、この時点でペニシリン系抗生剤の投与を再開する具体的義務があつた。

(4) しかるに、被告黒川は、五月八日の時点では十分な観察を怠つて乃扶子の症状の悪化に気づかず、同月九日の時点でも症状が急速に悪化することはないものと軽信して(特に九日の夜は当直医の本間医師に任せ切りであり、一〇日午前中は乃扶子を放置して他の病院へ診療援助に出向いてしまう始末であつた。)、抗生剤の投与を再開しなかつた。

6  損害

(一) 乃扶子の逸失利益

二九七九万二九八六円

乃扶子は、昭和五〇年二月一三日に生まれ、死亡当時三歳で、大学卒業後二二歳から六七歳までの四五年間は就労可能であつた。なお、原告らは、乃扶子を大学まで進学させる意思であり、家庭環境からいつても、それが十分可能であつた。したがつて、乃扶子の逸失利益は次式のとおりとなる。

301万3700円(昭和五九年度賃金センサス産業計企業規模計新大卒女子労働者平均年収)×15.209(新ホフマン係数)×0.65(生活費控除の残余分)=2979万2986円

(二) 乃扶子の慰謝料二一三〇万円

(三) 原告らの相続

原告らは乃扶子の親であるから、前記(一)及び(二)の損害賠償請求権を各二分の一ずつ相続した。

(四) 原告ら固有の慰謝料

各一〇〇〇万円

(五) 調査研究費等

各二五万二五〇〇円

原告らは、大学教授、医師、薬剤師などに協力を求め、本件の真相究明のための調査研究費用として、各一七万二五〇〇円を出費した。また、証拠保全を弁護士に依頼し、その費用として、各七万七五〇〇円を支出した。

(六) 葬儀、法要及び供養費用

各五〇万円

(七) 弁護士費用

各三二五万三一四九円

原告らは、原告代理人らに本件訴訟を委任することを余儀なくされたところ、弁護士費用のうち、本訴請求額の一割に当たる右金額を本件医療過誤と相当因果関係のある損害と認めるべきである。

よつて、原告らはそれぞれ、被告黒川に対しては不法行為に基づき、被告国に対しては被用者の不法行為(使用者責任)に基づき、請求原因6の損害金のうち、三二五三万一四九五円及びこれに対する不法行為の後で、本件訴状送達の日の翌日である昭和五六年一二月一一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を各自で支払うことを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2について

(一) 同(一)のうち、昭和五三年四月三〇日(日曜日)に乃扶子が来院して当直医の本間医師の診察を受けたこと、乃扶子の全身に粟粒大の発疹が多発していて、咽頭発赤もあつたこと、同医師がアイロゾンシロップを二日分処方したことは認め、その余の事実は否認する。

なお、乃扶子に付き添つてきた原告恭仁子の問診では、「四月二七日から元気がなく、二八日には三八度の発熱を認め、朝から腹部が赤く、関節の伸側部はかゆみを伴いオレンジ色に近い色になつていた。二九日の晩には38.4度、三〇日の朝は三七度の発熱があつた。」とのことであつた。本間医師は、乃扶子の症状から溶連菌感染症の疑いがあると考えたが、この段階で溶連菌感染症ないし猩紅熱と確診したわけではない。

(二) 同(二)のうち、乃扶子の発熱が四〇度前後であつたこと、被告黒川が溶連菌感染症ないし猩紅熱と診断したことは否認し、その余の事実は認める。診察時の乃扶子の体温は三九度であつたし、被告黒川は、溶連菌感染症の疑いがあると判断したにとどまり、確定診断をしたわけではなかつた。

(三) 同(三)のうち、乃扶子が被告黒川の診察を受けたこと、体温が三九度で右下肢に関節痛を訴えていたこと、被告黒川が原告ら主張のとおりの処方をしたことは認め、その余の事実は否認する。

(四) 同(四)のうち、喉の痛み、手のはれ、関節痛が現れていたことは否認し、その余の事実は認める。被告黒川は、乃扶子が先天性心疾患の手術後で、心室中隔欠損修復後の漏れが残つていることや、依然として発熱が続いていたことから、細菌性心内膜炎のおそれをも疑つたものである。

3  請求原因3について

(一) 同(一)の事実は認める。

(二) 同(二)のうち、腹部に出血斑が認められたこと、午後三時の体温が39.8度に達したこと、ジゴシンエリキシルを投与したこと、血液及び血小板の検査を実施したこと及び検査結果が原告らの主張のとおりであつたことは認め、その余の事実は否認する。ただし、腹部の出血斑は数個にとどまり、また、右検査結果が判明したのは乃扶子の死亡後であつた。

(三) 同(三)のうち、容態の急変が生じた時期を否認し、その余の事実は認める。容態が急変したのは一〇日の朝からである。

4  請求原因4の事実は認める。

5  同5について

(一)(1) 同(一)(1)の事実は否認する。

(2) 同(2)のうち、本間医師及び被告黒川が溶連菌感染症の疑いがあると診断していたことは認め、その余の事実は否認する。

(3) 同(3)について前文は否認する。①の事実は、有効な抗生剤療法を行うという限度で認める。②のうち、耐性菌増加に関する報告があつたことは認め、その余の事実は否認する。③のうち、乃扶子が先天性心疾患の手術後であつたこと及び被告黒川が主治医としてその治療に当たつていたことは認め、その余の事実は否認する。この時点で細菌性心内膜炎の併発を予見させる具体的な兆候はなかつた。

(4) 同(4)のうち、本間医師がエリスロマイシンを投与したこと及びペニシリンを投与しなかつたことは認め、その余の事実は否認する。

(5) 同(5)のうち、被告黒川がエリスロマイシンの耐性化の事実を知つていたこと、エリスロマイシンの投与を継続したこと及びペニシリンを投与しなかつたことは認め、その余の事実は否認する。

(二)(1) 同(二)(1)の事実は否認する。

(2) 同(2)について 前文は否認する。①のうち、乃扶子の発症が四月二八日からであることは否認し、その余の事実は認める。②の事実は否認する。③は、五月六日に出血斑らしいものが一個認められたことは認め、その余の事実は否認する。

(3) 同(3)のうち、被告黒川が細菌性心内膜炎の発症を顧慮しなかつたことは否認し、その余の事実は認める。

(4) 同(4)の事実は認める。

(三)(1) 同(三)(1)の事実は否認する。

(2) 同(2)のうち、細菌性心内膜炎の治療上起炎菌の確定が望ましいことは認め、その余の事実は否認する。

(3) 同(3)のうち、被告黒川が乃扶子の救命より起炎菌の確定を優先させたことは否認し、その余の事実は認める。

(四)(1) 同(四)(1)の事実は明らかに争わない。

(2) 同(2)の事実は否認する。

(3) 同(3)のうち、五月九日に出血斑を確認したことは認め、その余の事実は否認する。血小板検査の結果が判明したのは乃扶子の死亡後であつた。

(4) 同(4)のうち、一〇日午前中に被告黒川が他院へ診療援助に行つていたことは認め、その余の事実は否認する。

6  請求原因6は否認する。

三  抗弁(過失に関する評価障害事実)

1  請求原因5(一)に対して

(一) 本間医師がペニシリンでなくエリスロマイシンを選択したことについて

(1) 本間医師は、乃扶子を診察した際、乃扶子の診療録を見て、かつて一度もペニシリンを投与したことがなかつたことを確認した。

(2) 小児へのペニシリン投与は下痢などを起こすことがあつて吸収されにくいのに対し、アイロゾンシロップ(エリスロマイシン)はおいしいとのことで小児に人気があつたため、本間医師は、アイロゾンシロップの方が確実に摂取されるものと考えた。

(3) 昭和五三年当時、一般臨床の現場では、溶連菌感染症に対してはエリスロマイシンも使用されており、本間医師は、患児の年齢が下がれば下がるほどエリスロマイシンが投与される傾向が強いことを経験していた(少なくとも、ペニシリンを使用しないことに何らかの事情がある場合や、溶連菌に対する耐性に留意しながら投与する場合であれば、エリスロマイシンの投与は臨床医学上相当である。)。

(二) 被告黒川が五月一日にエリスロマイシンの投与を継続したことについて

(1) 抗生剤療法においては、抗生剤の血中濃度が高まつて効果を発揮するのに通常数日を要するから、一週間程度投与を続けて様子を見るのが通常であるところ、既に本間医師がエリスロマイシンを投与しているので、これを他の抗生剤に変えるのは適当でない(これに対して、姉のひと美にはまだ抗生剤投与がされていなかつたので、バイシリンGを選択したにすぎない。)。

(2) 右(一)(3)のとおり、一般臨床の場では溶連菌感染症に対してエリスロマイシンも効果を有するものと考えられていた。

(3) ペニシリンは、消化器に対して非常に強く作用するので、特に乃扶子のような小児に使用すると下痢や嘔吐のため脱水症状を起こすおそれがあると考えられ、不適当であつた。

(4) 当日実施する咽頭培養で菌を検出して感受性検査を行えば、耐性菌かどうかはすぐ分かるから、菌がエリスロマイシンに対して仮に耐性であつても、治療の時期を逸する心配はなかつた。

2  請求原因5(二)に対して

(一) 五月四日の時点で被告黒川がペニシリンを投与しなかつたことについて

(1) 抗生剤の効果の発現には右1(二)(1)のとおり数日を要することからすれば、エリスロマイシンについて、この時期までに著効が現れないからといつて、直ちに無効と認識すべきであつたとはいえない。

(2) 被告黒川は、五月一日に、乃扶子の疾患をより正確に診断するために検査を実施したが、その内容と結果は次のとおりであつた。

(ア) 咽頭培養

A群β溶連菌は検出されず、常在菌(ナイセリア菌、α連鎖球菌)のみが検出された。

(イ) 尿検査

アセトン体及びウロビリノーゲンを検出。顕微鏡の一視野に四ないし一〇個の白血球及び赤血球を認めた(軽い血濃尿。ただし、蛋白、尿円柱は検出されず、溶連菌感染症による急性糸球体腎炎は起こしていないと判断された。)。

(ウ) 末梢血液検査

白血球数七五〇〇、赤血球数四五八万、好中球六八パーセント(正常)

(エ) CRP検査 七プラス(強い炎症性反応)

(オ) ASO検査 五〇以下(正常)

被告黒川は、右検査の結果を五月四日までに知つたが、これによれば、咽頭培養で溶連菌が検出されなかつたこと、白血球数の増加がなかつたこと、ASO値も正常であつたことなど溶連菌感染症と診断するには否定的なものもあつたので、被告黒川としては、ウイルス性疾患なども考えねばならず、溶連菌感染症と確定診断することができなかつた。

(3) 当日の診断では、乃扶子の発疹は減少し、咽頭発赤も軽減してきていて、軽快を窺わせる所見もあつたので、エリスロマイシンの効果が現れているとも思われた。また、乃扶子が関節痛を訴えているので、溶連菌感染症に基づく敗血症によつて骨髄に変化が生じていると大変だと考え、整形外科を受診させて股関節等のエックス線写真を撮影させたが、異常なしとの回答であつた。

(二) 五月六日に被告黒川がペニシリンを投与しなかつたことについて

(1) 被告黒川は、五月四日に検査を実施したが、その内容及び結果は次のとおりであつた。

(ア) 尿検査

アセトン、ウロビリノーゲンとも異常なし。赤血球及び白血球も一顕微鏡視野に一ないし三個(正常)

(イ) 赤血球沈降速度検査

一時間値一六ミリメートル、二時間値三七ミリメートル(正常。なお、炎症反応があれば増加する。)

(ウ) 血清蛋白検査

グロブリン分画9.3パーセント(正常。なお、炎症反応に伴つて増加する。)

被告黒川は、五月六日までに右検査の結果を知つたが、これらからは異常が認められなかつた。

また、同日の診察時には、発疹は消失し、熱の山も下がつてきたと受け取れ、症状の軽快を窺わせる所見があつた。

(2) 細菌性心内膜炎が溶連菌によつて起こることは極めて珍しく、これを引き起こす頻度の高い緑色連鎖球菌(緑連菌)、ブドウ状球菌にはペニシリンに耐性のものが多かつたから、細菌性心内膜炎を疑つたからといつて、直ちにペニシリンを投与するのは相当ではなかつた。

3  請求原因5(三)に対して(被告黒川が抗生剤の投与を中止させたことについて)

(一) 細菌性心内膜炎の治療に当たつては、可能な限り血液培養によつて起炎菌を確定し、それに合つた抗生剤を選択しなければならない。しかし、それ以前に抗生剤を投与している場合には、血中に菌が実在していても、培養上陰性となることが多い。そこで、このような場合には、抗生剤療法を二日程中止して高熱の時に血液培養を行うようにする必要がある。以上は細菌性心内膜炎についての基本的治療方針であつて、被告黒川はこれに従つたものである。

(二) 乃扶子の入院時の所見は、体温37.1度、脈拍数一二八回/分、呼吸数四四回/分、血圧最高一〇八、最低六〇で、嘔吐、けいれん、下痢、咳、発疹はなく、眼球結膜にも異常はなかつた。咽頭が発赤し、苺舌が認められ、肝臓を三センチ、脾臓を二センチ触知した。右手足に川崎病様の硬性腫脹が見られ、少し黄だん色を呈していた。

右所見並びにこれまでの診察及び検査の結果によれば、この段階で細菌性心内膜炎の起炎菌が溶連菌であることを確定することはできなかつたし、また、この時点での乃扶子の症状は、起炎菌の確定を待たずに抗生剤を投与しなければならないほど重篤なものではなかつた。

4  請求原因5(四)に対して(乃扶子入院後の被告黒川の行為について)

(一) 五月九日の乃扶子の状態は、体温が三七度から三九度の間を上下し、皮膚は黄だん調で、苺舌が見られ、腹部は膨隆して鼓音を呈していた。肝臓、脾臓を各三センチ触知し、手足は硬性腫脹していた。白血球数を大至急検査させたところ、一万九五〇〇と増加していた。被告黒川は、出血斑や皮膚の色、肝臓、脾臓の触知、白血球数などの所見から、細菌性心内膜炎が徐々に進行しているおそれを認めた。しかし、症状の急激な悪化を予見させる所見はなく、この時点で起炎菌を確定しないまま抗生剤投与を再開すると、かえつて細菌性心内膜炎の有効な治療を遅らせると判断して、抗生剤の投与中止を予定どおりあと一日継続することとした。なお、被告黒川は、乃扶子に心室中隔欠損修復後の漏れが残つていること、細菌性心内膜炎のおそれが強いことなどを考慮して、うつ血性心不全の危険性を考え、ジゴシンエリキシル3.5ミリリットル、ラシックス二〇ミリグラムを投与し、乃扶子の経口摂取が少ないことから午後三時には点滴を開始した。また、被告黒川は同日夜の当直医である本間医師に39.5度以上の発熱があれば夜中でも血液培養を実施するように依頼しておいたが、当夜の乃扶子の体温は三七度から三八度の間で推移した。

(二) 五月一〇日の乃扶子の状態は、体温が37.4度から38.9度の間を推移した。午前九時に血液培養のための採血を行い、午前一〇時すぎ個室に移した。朝から急に、顔面、胸部、上腕部等に出血斑が散在しだし、眼球結膜にも出血が見られ、腹部が膨満し、午後からは口唇、四肢にチアノーゼが出現し、全身状態不良のため酸素テントに収容した。午後三時ころには苺やケーキを摂取するなどしていたが、以後乃扶子の症状は急速に悪化した。被告黒川は午後四時半ころルンバール、クロスマッチ用採血を行い、五時半ころブロードシリン(ペニシリン製剤)一グラムを管注し、更に原告誠からの新鮮血一五〇ミリリットルを輸血したが、このころ乃扶子は、突然、呼吸及び心停止を来した。被告黒川は、プロタノール、イノバン、ノルアドレナリンを投与し、気管内挿管や心マッサージなどの蘇生術を行つたが、効果を得ることができなかつたものである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1について

(一)(1) 抗弁1(一)(1)、(2)の事実は知らない。

(2) 同(3)は、エリスロマイシンが溶連菌感染症に対して第二次的に使用されていた(第一次的にはペニシリンが使用される。)との限度で認め、その余の事実は否認する。

(二)(1) 抗弁1(二)(1)のうち、本間医師が既にエリスロマイシンを投与していたことは認め、その余の事実は知らない。

(2) 同(2)については、右(一)(2)のとおり。

(3) 同(3)、(4)の事実は否認する。

2  抗弁2について

(一)(1) 抗弁2(一)(1)の事実は知らない。

(2) 同(2)のうち、(ア)ないし(オ)の検査が行われたことは認めるが、その余の事実は知らない。

(3) 同(3)のうち、乃扶子が関節痛を訴えていたこと及びエックス線撮影をしたことは認め、乃扶子の症状につき軽快を窺わせる所見があつたことは否認し、その余の事実は知らない。

(二)(1) 抗弁2(二)(1)のうち、乃扶子の症状につき軽快を窺わせる所見があつたことを否認し、その余の事実は知らない。

(2) 同(2)の事実は否認する。

3  抗弁3について

(一) 抗弁3(一)の事実は否認する。血液培養の前提として抗生剤療法を中止する必要はない。

(二) 同(二)のうち、入院時の所見については知らない。その余の事実は否認する。

4  抗弁4について

(一) 抗弁4(一)のうち、症状の急激な変化を予見させる所見がなかつたことは否認し、その余の事実は知らない。

(二) 同(二)のうち、ブロードシリン管注がされたことは認め、その余の事実は知らない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1(当事者)の事実は当事者間に争いがない。

二乃扶子の入院までの診療経過についてみるに、原本の存在及び成立に争いのない乙第一〇、第一五、第一七、第二八号証、証人河合(旧姓本間)直美の証言(以下「本間証言」という。)、原告誠及び被告黒川各本人尋問の結果、これらによつて成立の認められる乙第二九号証並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

1  乃扶子には、左心室と右心室の間の壁に穴が空いたり(心室中隔欠損)、大動脈から左心室に一部血液が逆流する(大動脈弁閉鎖不全)などの先天性の心臓疾患があり、生後以来断続的に東二病院に入通院を繰り返していて、被告黒川が主治医としてその治療に当たつていた。その間、昭和五一年一一月ころには、完治手術を受けたが、術後も当該手術部分に漏れが残つていたので、幼稚園入園前に再度手術をする予定となつていた。しかし、昭和五二年春以降は、乃扶子の状態は改善しており、本件までは、特に異常もなく推移していた。

2  乃扶子は、昭和五三年四月三〇日、原告恭仁子に伴われて東二病院小児科へ来院し、本間医師の診察を受けた。原告恭仁子からの問診では、「二七日から元気がなく、二八日には三八度の発熱があり、朝から腹部が赤くなつていた、二九日の晩には38.4度、三〇日の朝は三七度の発熱があつた。」とのことであつた。本間医師が診察したところ、関節伸側を中心に全身にオレンジ色に近い赤色の粟粒大の発疹が見られ、咽頭発赤も認められた。同医師は、溶連菌感染症の疑いがあると判断し、マクロライド系抗生剤アイロゾンシロップ(エリスロマイシン)及びボララミン(かゆみどめ)各二日分を処方した。なお、当日は、日曜日だつたので、咽頭培養は、行わなかつた(以上の事実のうち、本間医師の診察を受けたこと、咽頭発赤及び全身に粟粒大の発疹があつたこと、本間医師がアイロゾンシロップを処方したことは、当事者間に争いがない。)。

3  五月一日、乃扶子は発熱が続くため、被告黒川の診察を受けたところ、体温三九度で、かゆみを伴う粟粒大の発疹と咽頭発赤が認められた。被告黒川も、溶連菌感染症の疑いがあると判断し、本間医師の処方を継続して、乃扶子にエリスロマイシンを五日分処方し、姉のひと美(昭和四七年九月九日生、当時五歳)には、溶連菌感染症の予防内服薬として、バイシリンG(ペニシリン製剤)一二〇万単位を投与した。また、被告黒川は、乃扶子に対し、次の検査を行つたが、その結果は、以下のとおりであつた。なお、被告黒川は遅くとも五月四日までに右検査結果を入手していた。

(1)  咽頭培養

A群β溶連菌は検出されず、常在菌(ナイセリア菌、α連鎖球菌)のみが検出された。

(2)  尿検査

アセトン(糖質の供給が不十分なときなどに見られるが、小児では、風邪熱などで食事を取らないような場合に検出されることが多い。)及びウロビリノーゲン(高熱のときなどに検出される。)を検出したが、蛋白は検出されず、尿円柱も見られなかつた。顕微鏡の一視野に四ないし一〇個の白血球及び赤血球を認め、軽い血濃尿(尿路系の疾患を疑わせる。)といえた。

(3)  末梢血液検査

白血球数七五〇〇、赤血球数四五八万(いずれも正常値)、好中球六八パーセント(やや多い)

なお、細菌性疾患の場合には、白血球数が増加して、好中球の百分率比が増える。

(4)  CRP検査 七プラス(強い炎症性反応)

なお、一般に炎症性反応はウイルス性疾患より細菌性疾患の方が強く現れる。

(5)  ASO検査 五〇以下(正常。A群β溶連菌に感染していると増加する。)

(以上の事実のうち、診察時に粟粒大の発疹及び咽頭発赤が認められたこと、被告黒川が、乃扶子及びひと美に右のとおりの処方をしたこと及び右の検査を実施したことは、当事者間に争いがない。)

4  五月四日、乃扶子は被告黒川の診察を受けたところ、体温は三九度で依然として高かつたが、発疹は消え、咽頭発赤も軽減がみられた。胸部ラッセル音は聞こえず、内疹(粘膜の発疹)は見られず、肝臓及び脾臓は触知せず、関節腫脹もなかつた。原告恭仁子の問診によれば、乃扶子が右下肢の痛みを訴えていて、今朝から歩行しないとのことであつたので、被告黒川は整形外科でエックス線写真を撮らせたが、股関節には異常なしとの結果であつた。また、被告黒川は、原告恭仁子から乃扶子が薬を嘔吐する旨聞いて、解熱しないのは乃扶子が嘔吐して薬を十分吸収していないためと考え、エリスロマイシンを水薬であるアイロゾンシロップから散薬であるエリスロシンドライシロップに変更して三日分処方すると共に、ノイチーム(炎症時の組織修復過程促進剤)及び小児用バッファリン(解熱鎮痛剤)を投与する一方、次の検査を行つた(右検査結果のうち、(1)及び(2)は同月六日までに、(3)は同月八日に被告黒川のもとに届いていた。)。

(1)  尿検査

アセトン、ウロビリノーゲンとも異常なく、赤血球及び白血球も一顕微鏡視野に一ないし三個と正常であつた。

(2)  赤血球沈降速度検査

一時間値一六ミリメートル、二時間値三七ミリメートル(正常。なお、炎症反応があれば増加する。)

(3)  血清蛋白検査

グロブリン分画9.3パーセント(正常。なお、炎症反応に伴つて増加する。)

(以上の事実のうち、乃扶子の体温が三九度で右下肢に関節痛を訴えていたこと、エックス線撮影がされたこと、被告黒川がエリスロシンドライシロップを処方したことは、当事者間に争いがない。)

5  五月六日、被告黒川が診療した際、乃扶子の右腕に小出血斑が認められ、咽頭発赤も見られた。胸部ラッセル音や腹部鼓音は聞こえず、頸部にも異常はなく、肝臓及び脾臓は触知せず、関節腫脹もなかつた。原告恭仁子の問診では、「昨五日に38.7ないし39.3度、六日朝に38.3ないし38.6度の発熱が続き、足関節痛を訴えて歩行しない。」とのことであつた。被告黒川は、発熱が続くこと、出血斑が認められたこと及び乃扶子が先天性疾患の手術後で心室中隔欠損修復後の漏れが残つていることから、溶連菌感染症が細菌性心内膜炎を起こしているおそれを強く感じ、エリスロシンドライシロップの投与を続けると共に、ミノマイシン(テトラサイクリン系抗生剤)を二日分処方した。そして、被告黒川は、細菌性心内膜炎の治療の前提としては、起炎菌を確定する必要があるが、そのためには、一旦抗生剤の投与を中止して、血液培養を行う必要があると考え、同月八日に入院するよう指示した(以上の事実のうち、乃扶子に出血斑が現れていたこと、被告黒川において溶連菌感染症が細菌性心内膜炎を起こしているおそれを感じ、右の処方をしたこと、乃扶子の入院を指示したことは、当事者間に争いがない。)。

なお、原告誠本人の供述中には、「五月三日ころ、乃扶子の腕に黒いほくろのような点が二、三個あつた、五月四日の診療の際も恭仁子がこれに気づいて被告黒川に指摘したが、被告黒川は何も言わなかつたと恭仁子から聞いた。」との部分がある。しかし、もし、右点状のものが出血斑であれば、当然診療録等に何らかの記載があるはずであるところ、診療録の五月四日の欄にはこれについての記載はないから、右点状のものが出血斑であつたと認めることはできない(この点に関して、原告らは、診療録の改ざんを示唆するが、そのような事実を認めるに足りる証拠はない。)。

その他、前記認定を覆すに足りる証拠はない。

三次に、乃扶子の入院後死亡に至るまでの診療経過についてみるに、〈証拠〉並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  五月八日、乃扶子は、東二病院へ入院し、一般病室へ収容された。入院時(午前一一時ころ)の一般状態は、体温37.1度、脈拍一二八回/分、呼吸数四四回/分、血圧最高一一〇、最低六〇で、開口障害(軽度)、腹満、顔面乾燥、口唇乾燥があり、顔面及び頬部が紅潮していて活気がなかつたが、吐気や嘔吐はなかつた。同日の被告黒川の診断では、右の手足に浮腫があつて黄だん色を呈しており、咽頭発赤、苺舌が見られ、腹部が膨満して鼓音を呈し、肝臓を二センチ、脾臓を三センチ触知した。内疹、頸部リンパ球腫大、頸部強直、関節腫大はなかつた。被告黒川は、予定どおり入院後直ちに抗生剤の投与を二日間中止するよう指示すると共に、右投与中止による発熱に備えて、小児用バッファリン一日六錠を処方した。

午後二時ころの看護婦の観察では、四肢に浮腫がみられ、四肢末端に冷感があり、体熱感及び脱力感が著明に認められた。

午後六時には、体温が三九度、脈拍が一四四回/分、呼吸数が四八回/分にそれぞれ上昇して四肢末端に腫脹があり、軽度の冷感があつて、関節痛を訴えていた。

(以上の事実のうち、乃扶子が東二病院へ入院したこと及び被告黒川が抗生剤の投与中止を指示したことは、当事者間に争いがない。)

2  五月九日の乃扶子の状態については、午前六時、右上肢末(手背)に発赤が、右上眼及び胸部に発赤疹らしいものが認められた。

午前一〇時、四肢冷感及び脱力感が著明で、倦怠感が強度にあり、「ウーン、ウーン。」と声をあげていた。

午後二時には、右上眼瞼及び前胸腹部に出血斑様のものが点在しているのが観察された。

午後二時半、エックス線写真撮影の際、立位不可能で、両下肢の疼痛を訴え、四肢末端に圧痛を伴う腫脹があつた。

この日の被告黒川の所見では、右出血斑の他に、苺舌、腹部膨隆、鼓音が依然としてあり、皮膚は黄だん色で、肝臓、脾臓を各三センチ触知し、手足は浮腫状であつた。体温は、三七度(午後二時)から39.8度(午後三時)の間を上下していた。乃扶子に整形外科を受診させて、股関節及び膝のエックス線写真を撮らせたが、局所異常なしとのことであつた。被告黒川は、これらの所見から、細菌性心内膜炎が進行しているおそれを認めたが、抗生剤の投与中止の方針は維持していた。そして、乃扶子に心室中隔欠損修復後の漏れがあること、細菌性心内膜炎のおそれが強いことなどを考慮し、うつ血性心不全の危険を考えて、ジゴシンエリキシル(強心剤)3.5ミリリットル及びラシックス(利尿剤)二〇ミリグラムを投与し、食欲不振による脱水症をおもんばかつて点滴を開始した。

また、被告黒川は、次の各検査を行つたところ、その結果は以下のとおりであつた(ただし、被告黒川が右検査結果を入手したのは、乃扶子死亡後であつた。)。

(1)  末梢血液検査

白血球数一万九五〇〇、赤血球数三五五万、好中球八三パーセント、血小板一万一〇〇〇

(2)  CRP検査 一二プラス

(3)  ASO検査 八三三

午後七時半ころには、上脚から上肢にかけて出血斑が散在していた。

午後九時半ころ、乃扶子を診察した当直の本間医師は、敗血症のおそれを感じ、看護婦に39.5度以上の発熱があれば、血液培養をするから夜間でもすぐ連絡するように指示した。しかし、それ以降一〇日朝までの体温は、37.4度から38.6度の間を推移して終わつたので、同夜は、血液培養は行われなかつた。午後一一時半以降、乃扶子は、時おり咳き込むようになつた。

(以上の事実のうち、腹部に出血斑が認められたこと、午後三時の体温が39.8度であつたこと、ジゴシンエリキシルを投与したこと、検査が行われたこと及びその結果が右のとおりであつたことは、当事者間に争いがない。)

なお、被告らは、被告黒川が予め本間医師に対し、乃扶子に39.5度以上の発熱があれば血液培養をするよう依頼していたと主張するが、これを認めるに足りる的確な証拠はない。

3  五月一〇日の乃扶子の状態については、午前二時、「ウーン、ウーン。」と唸り声を発し、呼吸数は、六八回/分に達したこともあつた。

午前六時、顔面、胸部、腹部、両上腕部、右手背及び両大腿部に出血斑の散在がみられ、午前七時には、左眼球内側にも出血がみられた。

午前九時、予定どおり血液培養のための採血が行われた。呼吸数は、五二回/分であつた。

午前一〇時には右下眼結膜に出血が見られ、同一五分には個室に移された。同五〇分には、全身に点状出血斑及び腫脹が見られ、呼吸数も六〇回/分と速くなり、四肢末端部から口鼻部分がチアノーゼ気味になつていた。

午後二時には、呼吸数は六六回/分に増加し、チアノーゼがあり、全身浮腫が著明で、全身に点状出血斑が依然見られ、特に手背、眼瞼及び眼瞼結膜において著明であつて、全身状態が悪化したため、酸素テントの使用が開始された。

午後四時には全身の紫斑が増強し、四時半には全身の紫斑及び点状出血が増強し、唇及び四肢末梢部にチアノーゼが見られたので、ルンバール及びクロスマッチ用採血が行われた。被告黒川は、この日朝から他の病院へ診療援助にでかけていて、このころ帰還した。

午後五時半、ブロードシリン(合成ペニシリン製剤)を管注したが、乃扶子の呼吸及び脈拍は停止し、その後プロタノール、イノバン(急性循環不全改善剤)、ノルアドレナリン(血圧上昇剤)を注入し、輸血や心マッサージをしたものの、回復しないまま、乃扶子は、午後七時三分死亡した。

この日行われた末梢血液検査の結果は、白血球数二万六六〇〇、赤血球数三一九万、血小板一万三〇〇〇、好中球不明であつた。ただし、被告黒川が右結果を入手したのは、乃扶子の死亡後であつた。

(以上の事実のうち、同日朝全身に出血斑が確認されたこと、ブロードシリンが管注されたこと、被告黒川が朝から他の病院へ診療援助に出かけていたこと、乃扶子が同日午後七時三分に死亡したことは、当事者間に争いがない。)。

4  乃扶子の死後、右に採取した血液及び髄液の培養の結果、A群β溶連菌が検出され、その耐性検査をしたところ、エリスロマイシンは、いずれについてもマイナス、ペニシリンは、いずれについても三重プラス、テトラサイクリン(ミノマイシン)は、髄液中の菌についてプラス、血液中の菌について二重プラスであり、エリスロマイシンが全く無効であつたことが判明した。

四請求原因4(死亡原因)の事実は、当事者間に争いがない(なお、前掲乙第三四号証によれば、乃扶子の死因は、解剖の結果、A群β溶連菌が、変形した大動脈弁に多数の細菌集落を形成して、急性の細菌性心内膜炎を生じさせ、これが多発性の敗血症性栓塞症を招来して、臨床的には電撃性紫斑病と診断される症状を惹起したものと断定されたことが認められる。)。

五被告黒川らの過失の有無について判断する。

1  まず、溶連菌感染症に対する適切な抗生剤の選択を誤つた過失の有無について検討する。

(一)  右検討の前提として、まず溶連菌感染症及び猩紅熱の病像及び診断についてみるに、〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

(1) 溶連菌(溶血性連鎖球菌)とは、連鎖球菌の中で赤血球膜を溶解する性質を持つものの総称であるが、そのうち人の疾病に関係するのは、大半がA群β溶連菌である。

(2) 溶連菌感染症の病像は多様であるが、三歳以上の幼児の場合には、上気道炎として発症するのが一般的である。溶連菌による上気道炎の臨床所見上の特徴として、扁頭・咽頭の強度発赤、燕下痛を伴つて急に発症すること、頭痛を伴うことが多く、体温は38.5ないし四〇度に上昇し、しばしば腹痛や嘔吐を伴うこと、咽頭は滲出物を伴うことが多く、顎下リンパ線が有痛性に腫脹していることが多いことなどの点が挙げられている。

(3) 猩紅熱は、ほとんどの場合、溶連菌による上気道炎を基盤として、これに溶連菌の産生する毒素が関与して発生する。上気道炎の所見に加えて、粟粒大の紅斑でざらざらし指圧により蒼白となる発疹が発熱後一二ないし二四時間内外くらいに発生し、皮膚は黄だん色を呈することがある、口の周りが蒼白に残り(口囲蒼白)、舌は発病当初は白苔で覆われるような観を呈し、その後苺舌となるなどの臨床所見が見られるとされるが、近時、症状の軽症化が指摘されており、必ずしもこれら全ての所見が観察されるとは限らない。

(4) 溶連菌感染症ないし猩紅熱を認めさせる検査結果としては、咽頭培養による菌の検出、ASLO(ASO)値の上昇、白血球増加、好中球増加、尿中ウロビリノーゲン反応の陽性などが挙げられているが、いずれも抗生剤の使用によつて影響を受けることが指摘されている。

以上の事実を前提として前記二2で認定した乃扶子の初診時の症状をみると、乃扶子は、昭和五三年四月三〇日の時点で溶連菌感染症ないし猩紅熱に罹患していたものと推認することができる。

(二)  本間医師及び被告黒川が、昭和五三年四月三〇日及び翌五月一日の時点で、乃扶子が溶連菌感染症に罹患している疑いがあると診断していた事実は、当事者間に争いがなく、前掲本間証言及び被告黒川本人尋問の結果によれば、その疑いの程度はかなり強いものである反面、本間医師も被告黒川もこの段階で他の具体的な疾患の可能性を考えていなかつたことを認めることができる。

ただし、原告らは、この時点で本間医師及び被告黒川が、乃扶子が溶連菌感染症に罹患していることの確定診断をしていたとも主張するが、前記二で認定した診療経過によれば、この時点では、溶連菌感染症ないし猩紅熱によく見られる苺舌、嘔吐などの所見はなかつたし、いまだ咽頭培養を始めとする前記(4)の諸検査も行われていないか、その結果も出ていない段階であつたのであるから、この時点で本間医師及び被告黒川が溶連菌感染症の確定診断をしていたとまでは認めることができない。

(三)  もつとも、本間医師及び被告黒川が、溶連菌感染症の疑いが強いことを認めていたことは前示のとおりであるから、同人らには、この時点で溶連菌感染症を想定した治療をすべき義務があつたものというべきであるところ、原告らは、溶連菌感染症が疑われる以上、右治療としてはペニシリンを投与するのが当時の医学常識であつたから、エリスロマイシンを選択した本間医師及び被告黒川には抗生剤の選択を誤つた過失があると主張するので、検討する。

溶連菌のエリスロマイシンに対する耐性化についてみるに、〈証拠〉並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 海外でエリスロマイシンを含むマクロライド系抗生剤に対して耐性菌が発見されたことは、昭和四一年ころわが国にも伝えられていたが、エリスロマイシンに対する耐性菌のわが国での発見が初めて報告されたのは昭和四六年ころであり、昭和四七、八年ころには既に耐性菌の検出率は約二〇パーセント以上に達していると報告されていた。しかし、それらは感染症の専門雑誌で取り上げられていたにとどまり、ペニシリン過敏症の問題などが提起されていたこともあつて、当時は一般外来患者には、いまだペニシリン系よりもエリスロマイシンを始めとするマクロライド系抗生剤が好んで用いられている現状にあつた。

(2) その後、右検出率は急激に増加して昭和五〇年前後には六〇ないし七五パーセント程度に達したとの報告もされた(大要このような報告があつたことは、当事者間に争いがない。)。これに伴つて、エリスロマイシンに関する耐性化の問題は、昭和五一年ころには一般医家向けの医学書や教科書(以下「諸文献」という。)などにも指摘されるようになり、また、同年に出されたアイロゾン(エリスロマイシンの商品名)の効能書きにも、その投与に当たつてはできる限り起炎菌を分離してその感受性を確認すべきことが明記されるに至つていた。これに対して、ペニシリンについては今日まで全く耐性菌は発見されておらず、このことは前記諸文献でも強調されている。

(3) このように、エリスロマイシンの耐性化の問題が意識されてはいたものの、前記諸文献も、主としてペニシリン過敏症がある場合については、溶連菌感染症の治療手段としてエリスロマイシンの投与をなお掲げており、前記効能書きにも第二選択として溶連菌感染症にも有効である旨が記されていた。

(4) しかも、エリスロマイシン耐性菌の検出率は、昭和五二年以降再び減少に向かつていて、既に昭和五二年ころには二三パーセントに低下し、昭和五三年から昭和五五年ころには一六パーセント程度になつたとの報告もあり、また、最初に耐性菌を検出したアメリカにおいては、最近の右検出率は五パーセント弱であるといわれている(なお、その原因についてはエリスロマイシンの使用頻度が減少したこととの関係が指摘されている。)。

以上の事実によれば、エリスロマイシンについて溶連菌に対する耐性化の問題があり、溶連菌感染症が疑われる場合には、ペニシリンを投与するのが通常であることは、少なくとも昭和五一年ころには一般臨床においても常識となつていたというべきである。

しかし、他方、エリスロマイシンの使用も、多くの場合第二選択としてであるとはいえ、認められていたこと、耐性菌の検出率は変化が激しく、昭和五一年ころにピークに達した後は再び減少に転じており、昭和五三年ころには二割台になつていたとの報告もあること、ペニシリンには過敏症の問題もあることなどにも照らすと、右はあくまでも一般論にとどまり、ペニシリン以外の抗生剤を選択してペニシリンを投与しなかつたからといつて、それだけで直ちに本件においても過失があつたということはできず、個別的事案に応じて患者の症状、体質、年齢、診断の内容、当該疾患の性質、当該抗生剤の効果の程度などを考慮して、他の抗生剤を選択したことにつき合理的と認められる事情(これは、当該患者がペニシリン過敏症であつたことに限られるものではない。)があれば、右選択に過失があつたとはいえないというべきである。

(四) そこで、まず本間医師が四月三〇日の時点でエリスロマイシンを選択したことが合理的と認められるかについて検討する。

前掲本間証言によれば、本間医師がこの日にペニシリンでなく、アイロゾンシロップを選択したのは、乃扶子のカルテにペニシリン投与の例がなかつたためペニシリン過敏症を危惧したこと、ペニシリンとして投与の考えられたビクシリンドライシロップ(アンピシリン)は小児に投与すると重い下痢を起こすことがあり、吸収されにくいと考えられたこと、これに対してアイロゾンシロップは、小児の間でおいしいと人気があり、乃扶子が確実に飲んでくれるものと思つたこと、当時東二病院では、年齢の高い子供に対してはペニシリンの錠剤を処方するが、年齢が低くなるほどエリスロマイシンを使う傾向があつたことの諸点を考慮したためであると認めることができる。また、右証言によれば、当日は日曜日で、本間医師は当直医であり、同医師は後日主治医である被告黒川の診療を受けるよう指示してエリスロマイシンを二日分処方したものであることも認めることができ、本間医師の右処方は、あくまでも主治医である被告黒川の診療を受けるまでの応救的なものであつたということができる。以上の事実に加えて、前記認定の診療経過によれば、この時点で乃扶子の容態が急速に悪化すると予見させる症状があつたことは窺えないし、他にこれを認めるに足りる証拠はないことにも照らすと、本間医師の前記処方には合理性があつたものといえる。

(五) 次に、被告黒川が五月一日の時点でエリスロマイシンの処方を継続したことが合理的と認められるかについて検討する。

被告黒川本人尋問の結果によれば、被告黒川がこの日にアイロゾンシロップ(エリスロマイシン)の処方を続行した最大の理由は、本間医師によつて既に同薬剤が処方されていた(この事実は当事者間に争いがない。)ので、これを引き継いで経過を観察しようと考えたためであつたことを認めることができる。しかるところ、〈証拠〉によれば、一般に抗生剤は、ある程度の血中濃度に達して初めて効果を現すものであるため、一般臨床においては、一週間程度同一抗生剤の投与を続けて様子をみるのが通常であることが認められる。そして、前記二3に認定の乃扶子の診療経過によれば、この段階では、四月三〇日の初診時と比べて特に変化は見られないものの、エリスロマイシンの投与がいまだ始まつたばかりであつたのであるから、右変化が見られないという事実から直ちに、この時点でエリスロマイシンが全く効果を現していないと断定することはできず、一方、右診療経過によれば、この時点で急速な症状の悪化を当然に予測させるような兆候も窺えないし(乃扶子が先天性心疾患の手術をした幼児であつたことも、それだけでは、急速な症状の悪化を当然に予測させるものとはいえない。)、他にこれを認めるに足りる証拠もないことにも照らすと、被告黒川のエリスロマイシン継続投与の判断はなお、合理的であつたと認めるのが相当である。

もつとも、前記認定のとおり、被告黒川は、この日、乃扶子の姉のひと美に対してはペニシリン系薬剤であるバイシリンGを処方していることが認められるが、被告黒川本人尋問の結果によれば、被告黒川は、ひと美に対しては前にエリスロマイシンが投薬されていなかつたので、ペニシリンを選んで右のとおり処方したにすぎないことが認められるので、右の判断を左右するものではない。

(六) 以上のとおり、本間医師及び被告黒川がこの段階でエリスロマイシンを選択したことにつき合理的と認められる事情があつたといえるから、右薬剤選択に過失があつたということはできない。

2  次に、細菌性心内膜炎に対する適切な抗生剤投与その他の医療処置を怠つた過失の有無について判断する。

(一)  右判断の前提として、まず細菌性心内膜炎の診断及び治療についてみるに、〈証拠〉及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 細菌性心内膜炎の約九〇パーセントは、器質的心疾患のある小児に発症し、中でも心室中隔欠損には併発しやすい。また、細菌性心内膜炎には、急性のものと亜急性のものがあるが、前者は経過が非常に短く、放置すれば六週間以内に死亡するもので、急性敗血症に心内膜炎の症状が強く出たものといわれ、後者は心内膜に病巣を有する極めて経過緩慢な遷延性敗血症であると説明されている。また、幼若小児には亜急性のものは稀であるといわれている。

(2) 臨床像としては、発熱は必至で、器質的心疾患児に明らかな原因もなく一週間以上発熱が続く場合には、まず本症を疑うべきであるとされている。出血斑の存在も本症を示唆する有力な所見で、特に眼瞼結膜に点状出血をみることが少なくないので必ずチェックすべきであると説明されている。また、脾腫も重要な所見だが、これを認めないこともある。

(二) 乃扶子が細菌性心内膜炎を併発したことは前記認定のとおりであるところ、その併発時期についてみるに、前記二4及び5に認定のとおり、五月四日の時点では、既に六日間発熱が続いており、更に同月六日には、乃扶子の右腕に出血斑が認められたところ、右(一)で認定した細菌性心内膜炎の臨床像に照らすと、遅くとも六日には乃扶子は細菌性心内膜炎を併発していたものと認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。

なお、原告らは、五月四日の時点で被告黒川においては細菌性心内膜炎の発症が切迫していたことを診断しうべきであつたと主張する。

なるほど、〈証拠〉によれば、溶連菌感染症による発熱は、合併症の併発がなければ三、四日ないし一週間程度でおさまるのが通常であることを認めることができ、この事実に、右(一)に認定の、乃扶子のように器質的心疾患のある小児において一週間以上発熱が続く場合には、まず、細菌性心内膜炎の発症を疑う必要があるとされていること(特に器質的心疾患の中でも、心室中隔欠損には細菌性心内膜炎が併発しやすいとされる。)を併せ考えると、前記二1に認定のとおり心室中隔欠損等の先天性心疾患があつた乃扶子の主治医としてその治療に当たつていた被告黒川としては、この時点において細菌性心内膜炎の発症が切迫していたことを予見すべきであつたともいうことができるかのようである。

しかし、前記二4に認定の、五月四日の診療経過によれば、この日には、発熱は依然として続いていたものの、初診の時に見られた発疹が消失し、咽頭発赤も軽減するなど軽快と受け取れなくもない所見も現れていたうえ、被告黒川は、原告恭仁子から乃扶子が薬を嘔吐する旨聞いて、発熱が続くのは、乃扶子が薬を十分吸収していないためであると考えていたというのであるから、この時点では、被告黒川が細菌性心内膜炎併発の切迫を予見すべきであつたとするのは酷であるというべきである。また、他にこの時点で細菌性心内膜炎併発の切迫を窺わせる症状があつたと認めるに足りる証拠もない(もつとも、前掲別所証言によれば、五月一日に実施した末梢血液検査の結果における好中球六八パーセントという数値はかなり大きな変動を示すものであつて、一応細菌感染の疑いは持つ必要のある数字であることが認められるが、右事実によつても、それだけではこの時点で細菌性心内膜炎の併発のおそれが切迫していたとまで認めることはできないから、右の判断に影響を及ぼすものではない。)。したがつて、この時点で被告黒川が細菌性心内膜炎併発の切迫を予見すべきだつたということはできない。

してみれば、その余の点について判断するまでもなく、五月四日の被告黒川の処置に過失があつたということはできず、原告らの前記主張は理由がない。

(三) 五月六日の時点において、被告黒川が細菌性心内膜炎併発のおそれを認識していたことは、当事者間に争いがないところ、原告らは、このことは従来投与していたエリスロマイシンが無効であることを示すものであるうえ、小児の場合には細菌性心内膜炎はしばしば急性に進行することがあるから、この時点で従前の投薬を反省して、ペニシリンの静注など適切な処置をとる義務があつたと主張するので、検討する。

前記二5の認定事実によれば、この時点では、既に最初の発熱から八日間が経過しているのに乃扶子の高熱が持続し、乃扶子の右腕に小出血斑が現れて細菌性心内膜炎の併発が窺われたうえ、四日には一旦軽減していた咽頭発赤も再び見られたのであるから、乃扶子の症状は全体として悪化したものというべきであり、剤型を変えたにもかかわらず悪化が生じていることからすれば、被告黒川としては、この事実をもつてエリスロマイシンが本件の溶連菌に対して効いていないことを認識すべきであつたということができる。そして、右(一)(1)に認定のとおり、幼児においては細菌性心内膜炎が急性の経過をたどることは稀でなく、特に前掲乙第三七号証によれば、溶連菌は急性の細菌性心内膜炎の起炎菌として挙げられていることが認められる。してみれば、エリスロマイシンについて耐性化の問題が指摘されていることを知つていた(この事実は当事者間に争いがない。)被告黒川としては、この時点で細菌性心内膜炎が急激に進行する可能性をも予測して、溶連菌に対する耐性菌がいまだ発見されていない薬剤であるペニシリンないしその系統の抗生剤を投与するか、直ちに乃扶子を入院させて注意深く経過観察をしつつ適切な治療を施すなどの処置をとる義務があつたものというべきである。しかるに、被告黒川は、これが急性の経過をたどる危険を顧慮することなく(被告黒川本人尋問の結果によれば、同人は、細菌性心内膜炎のほとんどは亜急性のものと考えていたことを認めることができる。)、ミノマイシンを追加して処方したのみで、右の義務を怠つたのであるから、この点において被告黒川には過失があつたものというべきである。

これに対して被告らは、一方では軽快を窺わせるような所見もあつたと主張するが、被告らがそのように判断した根拠として挙げる事由のうち、熱の山が下がつてきたように受け取れたとする点については、前記二に認定の熱の推移(乃扶子の発病当初の四月二八日に三八度、同月二九日に38.4度であつた体温が、同月三〇日には一旦三七度に下がつた後、再び五月一日には三九度となり、同月五日は38.7ないし39.3度、同月六日朝は38.3ないし38.6度であつた。)からすれば、全体として解熱に向いつつあつたものと評価することはできないものというべきである。また、五月一日に見られた尿検査の異常が消失していたとの点についても、右二回目の尿検査は五月四日に行われたものであつて、乃扶子に出血斑が現れたのはその後であることを考えると、このことは五月六日時点における乃扶子の症状の好転を判断する根拠とはならない。更に、発疹についても、既に五月四日の時点で喪失していたもので、六日に初めて喪失したものではないから、四日の時点と比較して乃扶子の症状が軽快したとはいえない。そして、前記認定のとおり、細菌性心内膜炎の併発を窺わせる所見が認められ、咽頭発赤も再び強くなつていた以上、六日には、全体的に見て乃扶子の症状はそれ以前と比較して悪化していたというべきであるから、被告らの右主張は採用することができない。

また、被告らは、溶連菌によつて細菌性心内膜炎が併発されることは稀であるから、細菌性心内膜炎を疑つたからといつて、起炎菌の確定もしないで直ちにペニシリンを投与するのは不相当であると主張する。しかし、本件においては、乃扶子が溶連菌感染症に罹患しているとの強い疑いが従前からあり、現に被告黒川も溶連菌感染症を想定して治療を続けていたことは前記認定のとおりであるから、起炎菌としてまず第一に溶連菌を疑うべきであるうえ、右に認定のとおり溶連菌も細菌性心内膜炎(特に急性のそれ)の起炎菌として挙げられているので、それが細菌性心内膜炎の起炎菌として統計比率的に少ないからといつて、顧慮しないでよいということにはならず、むしろ本件においては、従前の診療経過に照らして細菌性心内膜炎の起炎菌は溶連菌であつたと推認することができたものというべきであるから、被告らの右主張は採用することができない。

もつとも、被告黒川の供述中には、この点につき、この時点までに実施した諸検査の結果からは溶連菌感染症と断定することはできず、むしろこれに否定的なデータも少なくなかつたので、細菌性心内膜炎の起炎菌としては溶連菌以外のものが考えられた旨の部分がある。なるほど、前記二3に認定のとおり、五月一日に実施された咽頭培養では溶連菌は検出されていない。しかし、右検査の実施時には既に本間医師によつてエリスロマイシンが投与されていたことを考えると、溶連菌が検出されなかつたのは右抗生剤投与の影響があつたものとも考えられるから、右事実は直ちに溶連菌感染症の疑いを否定するものでないことはもちろん、溶連菌以外の起炎菌の存在をより強く窺わせるものでもない。また、ASO検査の結果が正常だつたことについても、同じく抗生剤の影響が推認されるうえ、前掲乙第五号証によれば、ASO値は早期診断には役立たないとされていることが認められ、比較的初期の段階である五月一日の一回のASO検査をもつて、直ちに溶連菌感染症の疑いを払拭することは相当でない。更に、白血球数についても、被告黒川は正常であつたと供述するが、これについても抗生剤の影響の可能性が推認されるうえ、前掲別所証言によれば、乃扶子の年齢の小児においては、好中球は三〇ないし四〇パーセント程度であるのが通常であるところ、五月一日の末梢血液検査の結果に現れた好中球六八パーセントという数値はかなり大きな変動というべく(いわゆる核の左方移動)、一応細菌感染の疑いを示すものと認められるから、出血斑の出現をも併せ考慮すると、正常であつたと速断することはできない。また、被告黒川の供述中には、細菌性心内膜炎の起炎菌として多いのはブドウ状球菌であるところ、ブドウ状球菌でもいわゆる猩紅熱様の発疹が出ることがあるとの部分があるが、前掲別所証言によれば、ブドウ状球菌による発疹はもつとべつたりした湿つたような感じで、溶連菌感染症ないし猩紅熱による発疹とは外見上区別可能であることが認められるから、右証言に照らして右供述部分は採用することができない。してみれば、本件の臨床経過から、被告黒川としては、五月六日の時点において細菌性心内膜炎の起炎菌が溶連菌である蓋然性が高いことを認識しうべきであつたと認めるのが相当であり、これに反する被告黒川の前記供述部分は採用することができない。

なお、被告黒川は、この日、ミノマイシンをも処方しているところ、前記三4で認定したとおり、ミノマイシンも本件の溶連菌に対して効果がなかつたわけではないが、その程度はペニシリンよりも劣つていたうえ、細菌性心内膜炎が急速に進むおそれにも対処する必要があつたことに照らすと、右ミノマイシンの処方をもつて細菌性心内膜炎に対して十分な治療をしたものとみることはできない。

他に前記認定判断を左右するに足りる証拠はない。

3 なお、念のために附言するに、五月六日の時点においては、いまだ細菌性心内膜炎が急激に進行する可能性を予測すべきと見られるほどの症状の悪化があつたとまではいえないとしても、前記三1で認定したとおり、五月八日(入院当日)から、腹部膨満、鼓音や肝臓及び脾臓の触知、右手足の浮腫などの所見があつたうえ、同日午後二時ころには、看護婦が、四肢の浮腫、四肢末端冷感、体熱感・脱力感著明との観察をしており、午後六時には、呼吸数が四八回/分に上昇している(前掲別所証言によれば、これは乃扶子の年齢の幼児の呼吸数としてはかなり早く、重篤な状態を示唆するものであることが認められる。)。

右所見に前掲別所証言を併せ考慮すると、入院当日ないし遅くとも同日の夜から細菌性心内膜炎が急速に進行していることが窺われ、被告黒川においてもこのことを認識すべきであつたということができる。

もつとも、前記三1の認定によれば、五月八日には、六日に見られた出血斑は消失していたと考えられるところ、被告黒川の供述中には、右消失の事実から従前出血斑と思つていたものが果たして本当に出血斑であつたのかどうか疑問を持つたとの部分がある。しかし、前記三4に認定のとおり、ミノマイシンが、ペニシリンには劣るにせよ、溶連菌に対して一定の効果を有していたことに照らすと、右出血斑の消失はミノマイシンの効果によることも考えられたのであるから、出血斑の消失をもつて直ちに細菌性心内膜炎の診断に疑いを抱かせるものということはできない。その他、前記認定判断を覆すに足りる証拠はない。

してみれば、遅くとも五月八日の入院時点又は同日の夜の時点において、被告黒川は、乃扶子の病状が急速に悪化していることを察知してペニシリン系抗生剤の投与を開始すべきであつたものというべきである(なお、前掲別所証言によれば、この時点までにペニシリン系抗生剤の静注といつた適切な治療を開始すれば、乃扶子は救命可能であつた蓋然性が高いと認められる。)。したがつて、右義務に違反して抗生剤の投与をしなかつた被告黒川は、少なくともこの点において過失を免れないものといわなければならない。

六以上によれば、被告黒川には、細菌性心内膜炎に対して適切な抗生剤の投与を怠つてこれを進行させ、乃扶子に対する適切な治療の時期を逸した過失があるものというべきであり、その結果、乃扶子を死亡させるに至つたものといわなければならない。

したがつて、被告黒川は、民法七〇九条によつて、その雇用者である被告国は、同法七一五条によつて、連帯して、右死亡によつて生じた損害を賠償する義務がある。

七請求原因6(損害)について判断する。

1  同(一)(乃扶子の逸失利益)についてみるに、成立に争いのない甲第一号証及び弁論の全趣旨によれば、乃扶子は、昭和五〇年二月一三日生まれで、死亡当時三歳であつたことを認めることができる。また、原告誠本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告らは、いずれも大学を卒業しており、乃扶子を大学まで進学させる意思を有し、かつ、進学させる資力もあつたことが認められるから、乃扶子は存命していれば大学まで進んだ蓋然性が高いものと推認することができる。してみれば、乃扶子の逸失利益を算定するに当たつては、大卒女子労働者の平均年収を基礎にすることが相当と考えられるから、乃扶子の逸失利益は次式のとおり、二七五〇万一二〇〇円(一〇〇円未満切捨)となる。

三〇一万三七〇〇円(昭和五九年度賃金センサス産業計企業規模計新大卒女子労働者平均賃金)×15.209(二二歳から六七歳までの就労可能期間四五年に対応する新ホフマン係数)×0.6(生活費控除の残余分)

なお、乃扶子が先天性心疾患に罹患していたことは、前記二1に認定のとおりであるが、右認定によれば、昭和五二年春以降は乃扶子の状態は改善していたものであつて、右疾患ゆえに、乃扶子の余命が通常の場合に比して短いとか、同女の稼働能力が通常の大卒女子に比べて特に劣るとまでは推認することができず、他に右の事実を認めるに足りる証拠はない。したがつて、乃扶子に前記疾患があつたことは、前記認定判断を左右するものではないというべきである。

2  同(二)(乃扶子の慰謝料)についてみるに、前記認定の被告黒川の過失の程度その他本件に現れた一切の事情を斟酌すると、乃扶子の死亡による慰謝料としては、一〇〇〇万円が相当である。

3  同(三)(原告らの相続)の事実は前掲甲第一号証及び弁論の全趣旨によつて認めることができる。

そうすると、原告らは、前記1及び2で認定した乃扶子の損害賠償請求権の各二分の一(一八七五万〇六〇〇円)を相続によつて取得したものというべきである。

4  同(四)(原告らの固有の慰謝料)について判断するに、本件に現れた全証拠に、前記認定の乃扶子の慰謝料額をも併せ考慮すると、原告らの慰謝料はそれぞれ一〇〇万円とするのが相当である。

5  同(五)(調査研究費等)についてみるに、これらは、乃扶子の死亡によつて通常生じる損害ではなく、特別の損害であると解されるところ、乃扶子の死亡当時被告らが右につき予見可能であつたことについて主張、立証がないから、原告らの右主張は失当といわざるをえない。

6  同(六)(葬儀法要及び供養費用)についてみるに、弁論の全趣旨によれば、原告らが右費用として各五〇万円を支払つたことを認めることができ、このうち各二五万円をもつて本件と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

7  同(七)(弁護士費用)についてみるに、原告らが本件訴訟の遂行を原告らの訴訟代理人に委任したことは記録上明らかであり、本件訴訟の内容、経過、請求認容額等諸般の事情に照らすと、右弁護士費用については、原告ら各自につき二〇〇万円をもつて本件と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

八以上の事実によれば、本訴請求は、原告らにおいて、被告らが原告らそれぞれに対し連帯して、各二二〇〇万〇六〇〇円の損害賠償金及びこれに対する不法行為の後で本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五六年一二月一一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うことを求める限度で理由があるから、これを認容することとし、その余は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言及び仮執行免脱宣言につき同法一九六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官平手勇治 裁判官瀬戸口壯夫 裁判官後藤邦春は、転官のため、署名捺印することができない。裁判長裁判官平手勇治)

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